『歴史認識』という言葉を岩波書店の『広辞苑』(第3版)で調べると載っていないことに驚きます。日本を代表する辞書であり、『世界』をはじめいわゆる「左」を代表する出版社が製作しているにも関わらずです。「歴史認識」という言葉自体、実態の不明確な政治的な用語だということがわかります。過去の歴史、特に昭和史の教訓はどういうことで、その教訓をどう生かしていくのかという意識がどこかに忘れ去られて、棚上げされ、神学論争的に「認識」を論じているように思われてなりません。
私の経験では、極端な先生に当たることもなく、少し背伸びした本も読んでいたので、ある程度左から右まで書物を読み、昭和の戦争の歴史の出来事の詳細を知っていけば、知るほどに、簡単には「認識」など出来ないという理解になりました。
結局「侵略」とか「自衛」とか、「善」・「悪」というような簡単な言葉で、無理やり二元論に押し込んで作り出されたのが「歴史認識」という言葉なのではないでしょうか。
なぜ「認識」だけがクローズアップされたのでしょう、特に1980年代以降「教科書」「靖国」に端を発する「歴史」の国際政治問題化が進行するのとともに、「認識」が一人歩きして、本来、「被害」を経験した戦争体験者たちの相対化もしくは「告白」という構図になっていた「加害」意識の語りなどが、教育現場を中心に流行したわけですよね。
これは主に、教師個人の思想、または地域状況に文字通り「左右」されることが多かった課外や修学旅行などの「平和学習」を中心にした動きだったわけですね。その平和学習も「悲惨さ」の強調によって「戦争は嫌だ」という「感情」だけを肥大化させることばっかりやってきて(いまだに
こういうことやっているところもあるようです。『
parallel life chronicle』さんより情報を頂きました。)
ところが、話を聞く前提となる、歴史の授業としての近現代史は「受験に関係ないから」「時間が足りないから」授業として取り上げられることは少ないということも、公然となっているにもかかわらず、「侵略」の歴史「加害」の歴史を知るということで、知識ゼロで中韓へ出かけていっては、向こうの歴史観に「真実」を発見して、謝ったりすることをやってきたんですよね。
それをやりすぎた結果、1990年代中期になると、例えば広島の高校生などのアンケートで、「日本はアジア侵略してヒドイことしたんだから、原爆落とされてもやむを得ない」と答える高校生が増えてしまったというようなことも起きてきたわけです。
1996年に「慰安婦」の記述をめぐる問題に端を発し、「自虐的」教科書の問題が起こり、「歴史認識」の見直しという主張から「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に発展し、一定の支持を集めるに至りました。このあたり一時期スポークス・パーソンとなった、小林よしのりの影響力は大きかったと思います。「タブー」とされてきた話題が、若い世代に波及した漫画・サブカルを発信とし、既存の論壇を席巻、そして政財界に波及までの論争に発展した、これ以降、「歴史認識」の見直し論は常時論争の話題となり、政治的にも特に小泉政権の「靖国」を通じて現在に至るまで論争となっているわけです。
ですから「歴史認識」というのは政治と思想に振り回されてきた用語だといえると思います。保革の思想対決最晩期に中学・高校時代を過ごした、『細かいことはよく知らないけど、戦争は嫌だし、修学旅行で韓国・侵略だって言ってるし、おじいさんの世代は侵略したかもしれないけど俺たちには関係ないじゃん、何で謝り続けなければならないんだ。』という、ある意味「スティグマ」を背負った我々前後の世代にとっては、「自虐史観の克服」が堂々と主張され始めたことによって、「スティグマ」の克服になったわけです。既存の「認識」に偏っていたところから覚醒して相対化された、それ自体はよかったと思うんです。
ところが、それから10年近くなって、同じように『細かいことはよく知らないけど、中韓にいろいろ言われるのはおかしい。日本は正しかった』というようなのが、我々なんかより下の世代に出てきた。これはこれでまた問題だと思います。
一方的に日本が悪いというのもおかしいし、さりとて、政府の政策まで含めて日本が全てが正しいというのも、これまたおかしい。なぜなら、戦争の中で日本人が体験した「敗戦」という「失敗」を分析できなくなってしまうんです。糾弾に明け暮れて、「なぜ戦争になり、なぜ負けたのか、なぜ巻き込まれたのか」という貴重な知識の蓄積は必ずしもメインストリームにはなってこなかかった(特に歴史教育では)といえるでしょう。「敗戦」という事実はあり、それに至るまでは国際的な動き、経済状況、政府、マスコミ、国民の意識、また国内の組織的、経済的な敗因もあるわけで、「正しかった」「やむを得なかった」で思考停止したままでは、同じ間違いを繰り返すことになる危険が多いのですから。
例えば、大本営や上級司令部などの記録を読んでいくとわかるように、情報戦略の拙劣、重要作戦・政策決定に入り込んだ「義理人情」や「空気」の問題にしてもそう。それは、現代の日本の組織でもあらゆるところで起きています。合理的な慎重論よりも、精神主義の積極論が幅をきかせる「空気」のときや、「素人に何がわかる」「若僧に何がわかる」と一喝されたときに、どのように反論できるでしょうか。もっと極端な例を挙げれば、
学校の体育系部活動で、先輩が決めたことに新入生は異議を唱えることができるでしょうか?
メディア業界でも、プロデューサーやデスクの方針にスタッフが異議を唱えることができるでしょうか?
上司から睨まれたらリストラされるのは確実だとわかっていて、家族も居る身で社員は異議を唱えることができるでしょうか?
こういう事例を「自分のこと」として「想像力」を働かしながら「歴史」を見て、考えていくことによって、「敗因」を白日の下に出し、「反省」して「教訓を得る」という営みは、偏った強引な「認識」よりもはるかに大事なことではないかと私は思います。
確かに戦争は悲惨で、むごいものだ、ひどいものです。『
かわいそうなぞう』の話などは象徴的ですが、確かに子どもたちがこの話を聴くことは大変有益だと思います。しかしながら、一方で殺さなかった動物園もあるわけです。(「
かわいそうな園長代理」_『
兵器生活』さん)この点でも、相対化して考えることも、年齢を重ねていけば学んでいく必要もあると思います
。『戦争を知らない子どもたち』が、まもなく『戦争を知らない祖父母たち』になっていく時代ですから、戦争体験を伝承していかなければならないことは無論のことです、が、伝承を活かす為にも『悲惨さを知って戦争を嫌悪すれば平和になる』という単線的思考を脱し、相対的な視点から、平和を守るために戦争の実相を知る、学ぶ必要があると思います。
不毛な「歴史認識」論争から生まれるものを得ようとするよりも、もう戦後60年経ったのですから、これを機に、「あの時代の、あの戦争の教訓は何なのか」ということを、「認識」は一先ず措いて、本当に真剣に学び、考える時期では無いでしょうか。