今朝の地震にはぶったまげました。私の自宅もかなり揺れました。震度は3と4に挟まれた地域ですが、ガタガタガタと物凄い揺れで部屋の不安定な本や書類がバタバタ落ちてくるわ、置物の瀬戸物がおちて割れるわで、思わず「ああー!ついにこの時が来てしまったかー」と一瞬思いました。結局それで揺れは収まりましたが、庭の都市ガスの安全装置が働いて止まってしまいましたので、限りなく5に近い揺れだったと思います。これだけの揺れはここ10年くらいではなかった揺れです。ちなみに写真は本棚から落ちて電池が吹っ飛んだので止まってしまった私の目覚まし時計です。
さて、地震に匹敵する揺れ方をしているのは文部科学省です。またもゆり戻しです。
「ゆとり教育見直し、秋までに基本方向…中教審に要請」
中山文部科学相は15日、中央教育審議会(文科相の諮問機関)の総会に出席し、現行の学習指導要領について授業時間数の見直しなどを検討するよう要請し、今秋までに基本的な方向性を報告するよう求めた。(読売新聞)
全く莫迦げた話です。現場を混乱させる場当たりの対応、学力の「統計上」の数値に一喜一憂することが教育なのでしょうか。単純にゆり戻すということなら、全く意味が無い。そもそも学校五日制で授業時間の増加といってもそうすると二学期制になって、夏休み後の学力試験では成績が下がる結果しか出ない。戦略を持たず、数字をあわせることに終始して大局を見誤る。大東亜戦争の失敗をまたしても繰り返すのかという暗澹たる気分です。
そもそも現代の教育問題は、経済と雇用問題、そして階層問題に直結する問題だということが認知されつつあります。そこを考えなければならない。詳しい部分はまた後日に譲りますが、相対的な多様性を創出することが求められるということです。ただ単にペーパー学力強化方針を出しても「生まれ変わり」が無い社会ではリアリティがないから一過性の自己満足にしか過ぎないでしょう。
もはや既存の学校教育とは別の教育を考えなければならない時代になって行きます。「学校」システムそのものを問い直すことも必要ではないでしょうか。私は「学校原理主義」と呼んでいますが、「教育問題=学校問題・教師問題」という図式を自明視したままでの議論が学界以外の教育論議では強調されています。そうではなくて、学校はウェイトは大きくても教育の中の一部でしかないということを認識していくことからはじめなければならないと思っています。ネットワークでリンクしていますが、「わくわくなたけのこ「活」!」を主宰するSnowchipさんのように「寺子屋」を創ろうという問題意識も高い若い人もいます。持続可能な第三の道は教育にも必要なってきたと痛切に考える今日です。
「あいさつした児童殴る 若い男が「うるさい」と」
15日午前7時50分ごろ、福島市丸子漆方の市道で、登校中の同市立鎌田小2年の男児(8つ)が、通りかかった若い男に「おはようございます」とあいさつしたところ、男は「うるさい」などと怒鳴り、いきなり頭を素手で殴られた。男はそのまま立ち去った。
男児は頭部打撲や口の中を切る軽傷。同小から福島北署に届けがあり、同署が傷害事件として男の行方を追っている。同小は事件を受け、児童を集団下校させた。
同署によると、男児は1人で登校中で、男と面識はないという。登校後男児が教諭に訴え、学校が通報した。男は10代後半から20代前半ぐらいで、紺かグレーの上着姿で帽子をかぶっていた。(共同通信)
「おとな」が子どもに見せられる顔があるか。考えさせられる事件です。この子がこれからもあいさつをしてくれることを祈ります。心の傷は一生消えないかもしれません。怒りを通り越して悲しい事件です。