英国BBC HPより転載(AP)
福知山線尼崎事故は死者106人を数え、S26年4月24日(!)発生の桜木町事故(列車火災)を超えて、日本鉄道史上7番目の死者数となる未曾有の大惨事となりました。日本で100名以上の死者を出した鉄道事故は、今回を含めて9件ですが、関西・特に大阪近郊での大事故は、S15年1月29日の安治川口(USJの隣駅)ガソリンカー転覆炎上事故の死者189名だけで、以来65年ぶりの大事故となりました。しかも今までの鉄道史上に類のない事故です。連日の報道で、少しずつどういう動きがあったのか発表されています。架線柱の中間が破壊されている写真が公表され「転覆脱線」が起こったのではないかということです。今週は本当に気が滅入りました。親しい人や後輩にも鉄道関係者が居ますが、一様にショックと同時に、見られる目が急に変わったことを感じているようです。いずれにしても、
「事故があると、上司は、「誰がやったのだ!」と叫び、警察は何はさておきミスをおかした者を業務上過失致死容疑ですぐにしょっぴく。監督官庁は、行政処分を考える、といったぐあいである。 世論のほうも、ミスの当事者を「お粗末なヤツだ」といわんばかりの勢いで袋だたきにし、 大臣や社長が辞めないと満足しないような妙な空気になってくる。過失責任を追及し、トップの「政治責任」を問う、といったことが、まず優先され、純粋に安全技術の立場に立った調査は、それほど興味を持たれない。」
『失速・事故の視角』 柳田邦男より
というのいうふうにはなってほしくないのですが、残念ながらここのところの報道、特にテレビは、情報を整理しないで報じているように感じられます。「~によれば」という責任が薄まる報道。それでいて「貴重なデータ」「貴重な映像」といいつつほとんど的外れのモノを流しておいて、『ここにきて情報が錯綜しています』などと平気でのたまう。これではホリエモンにバカにされてもしょうがない部分がああるんじゃないかと思ってしまいます。
せめて、アメリカのNTSB(国家交通安全委員会)の調査手法、「4つのM」(Man(人的要因),Machine(機械的要因),Media(施設・情報的要因),Management(管理・教育的要因))にきちんと分けて、それぞれに関心を持って検証なりしてほしいものです。いまは第1と第4の「M」運転士・車掌と労務管理問題に集中してしまっています。車掌の行動についてもいろいろ非難が出ていますが、発生直後に列車防護を成功させ、対向の下り特急「北近畿」との二重衝突という最悪の事態を避けた点についてはほとんど触れられていません。「転覆脱線」と報じているのに「護輪軌条があれば」のようなことを言っている。日によって根本的に言うことが変わる「鉄道に詳しい?原発の専門家」は論外としても、「鉄道アナリスト」氏は、かねがねJR西の「アーバンネットワーク」と緻密な乗り換え接続を賛美していたはずで、事故車についても名車と評価していたはずですがね。
冷めた言い方をすれば、マスメディアが考えるマスメディアの「役割」を演じ続けているだけということかもしれないですね。中立性に名を借りた他人事だから、遺族に便乗して「正義」を唱えれば自分も正義になったような気になってしまうのですかね。
遺族が取り乱している中でJR西の社員を糾弾する映像を、各局繰り返し流すことに何の意味があるのか。犠牲者の生前をことさらまでに、遺族にマイクを向けてまで報ずる必要が、運転士の文集まで持ち出す必要が、果たしてあるのか。私には疑問です。
マスコミにとって格好の「いい画」になってしまった(されてしまっている)遺族の姿は、その胸の奥にある悲しみ、怒り以上に悲痛に写ります。
以上、全国各地でオーバーランが続くミスを批判する原稿を、カミカミになりながら喋るアナウンサーの声を、誤字のテロップ表示された画面を見つつの大型連休初日でした。
(VTR)「申し訳ないで済むと思ってるんですか」
・・・「今のVTRでご遺族のお名前が間違っていました。おわびいたします。さて、このようにJRの対応に批判が集まっています。・・・」