まずは、マスメディアに倣って、くだらない戯言を、『ディスカバー・ウエスト』JR西日本のイメージキャラクター竹内結子の結婚・妊娠発表について、この時期に慶事を発表するのは不謹慎ではないかという議論は起きないのですかね。(無論皮肉です)
今日10日朝刊の朝日新聞「天声人語」で、尼崎駅の大阪方面の本数が山手線よりも本数が多いという「過密ぶり」を強調していたました。どうも誤解なのか意図的なのかはわかりませんが、尼崎大阪間は複々線で同時発車でも別々の線路を走っているんですがね。
また、あるワイドショーでは、尼崎から大阪方面の時刻表で電車線、快速線、東西線3方向を一緒にした時刻表を作ってまで報道していましたが、これは東京駅から横浜方面へ向かう京浜東北線と東海道線と横須賀線の時刻表を一枚に書いて「過密だ」と批判しているようなものです。
そもそも、「過密」という言葉がスッと落ちないんですよね、それこそ山手線や中央線に本数を比較して、福知山線は決して「過密」ということではないと思うんです。何が言いたいのかというと、JR西日本が「アーバンネットワーク」で作り上げたのは、「緻密」なダイヤだということです。「過密」と「緻密」は違うと思うんですね。むしろ「過密」なほどの列車があれば、接続もそれほど気にしなくても良いわけですが、「緻密」というのは、本数はそれほど多くなくても、確実に乗り換え拠点で接続させるという「緻密」さです。これに、狭軌というハンデのなかでの最大限の「スピード」を加えた二枚看板で、関西私鉄との競争を勝ち抜いたわけです。そこまでは良かった。
ところが、「緻密」に計算された接続は、一箇所が狂うと、どんどん波及していきますそれの接続を待っている列車に影響が出る、その列車はまた次の接続列車にという具合にです。駆け込み乗車があれば破綻です。
JRが便利になって、利用者が多くなれば、混雑が起きる。混雑すれば乗降が長くなる。列車が遅れる。便利になったから地元から停車駅要望もでる。かといって所要時間を延ばせば価値が下がる。スピードを上げる。そしてまた混雑が起きる。より「緻密」なダイヤを作り、乗務員を叱咤する。・・・しかしながら、事故を起こしてしまえばすべてがオジャンです。
「過密」で列車が詰まっていたのではない。「緻密」に「緻密」を重ねた精巧なものは、精巧であるがゆえにタイトで壊れやすいものでもあるわけです。このために事故列車が無理したのかどうかはまだわかりません。したがって、これが事故原因とは断定できません。しかし、無理を重ねる状況は存在していたことは、各証言から明らかになっています。
こういう環境にあったという点を、JR西日本もある程度問題意識を、持っていたわけですよね。遅延調査をやっていたわけですから。こういうぎりぎりの状態が常となった時点で、結局、従業員を叱咤するだけのことしか出来なかったという事態は、「根性」論に二重写しになって見えます。なぜ「緻密」を護るために「叱咤」しかできなかったのか。JR西日本だけではない。ちょっとした「何か」が、「緻密」を崩壊させる危険をきちんと掘り下げていくことは、日本の組織論と切っても切り離せないことだと思います。社会学的な分析も必要でしょう。
「過密」という、安易に流れている表面的な言葉とは違った点で、確認しておく必要があると思います。