あの事故から1年がたちました。死者107人という惨事。関西では戦後初めての大きな列車事故だったわけで、特に地元では未だに衝撃癒えないいえない方がたくさんいることと推察します。改めて犠牲者のご冥福と、負傷された方の回復をお祈りするとともに、家族の方にはお見舞い申し上げます。
どうも鉄道事故調などでは、進入速度が110km/h前後であり、転覆限界速度をわずかに超える(越えなきゃ理論上は間違いなのだが)ことで、速度超過を主因とするような発表されるとともに、刑事捜査のほうでも、「日勤教育」や「過密ダイヤ」に同業他社との差は見られなかった。として立件を見送る方向性になったようです。それに影響されたのかメディアも、まるで用意していたかのように事故運転士の「異常」性を強調するような記事が多くなり、どうも「運転士主因説」で固めていきそうな勢いですね。どうも釈然としませんがなねえ。原因究明のソースを見て無いので。すでに車両は解体されてしまってます。
さて、メディアでは、この1年間で、変わったこと、変わっていないことなどと特集したりしておりますが、そういうメディアの姿勢が一番変わっていないなあと感じます。あれだけ、ブログなどで批判された出来事にもかかわらず、JRの検証記事はあっても、事故報道の検証記事を見受けないのは「変わっていない」んでしょうね。
今日も、あるニュースでは、山手線が昨日普通になった工事を強引に結びつける報道や、JR西日本が、取り組み始めた「事故の芽」の報告件数について、「こんなに多いのは反省が足りない」くらいのことを追及する記者がいましたね。これには驚きました。
「事故の芽」のような「ヒヤリ・ハット」の報告は、大事故や大きなトラブルを起こさないために、細かいものでも拾い上げていくことが重要視されるにも関わらず、そんな認識のかけらも無いか、持っていても叩きたいから叩くというような姿勢には、「おめーらが一番変わってねーよ」とテレビに突っ込みを入れてしまいました。
昨年の事故直後、TVに映ったJR西日本のある職場で「ヒヤリハットゼロ」という標語が映っていて、首を傾げた記憶がよみがえってきました。「ヒヤリハット」ゼロを求めて(これは日勤教育にも人員削減やアンバランスの問題にも関わりますが)いきなり大事故を起こしてしまった。という見方は、当初からマスメディアがとっていた主張ではないんでしょうか、それが実効性をどう評価するかは議論があるとしても、こんどは「ヒヤリハット」の件数まで問題にしようというのは理解に苦しみますね。
またメディアに煽られることなく、合掌でこの日を終えたいと思います。